以前「私はなぜコラムを書くのか」というコラムを書いたことがある。営業の女性スタッフから「紙面を埋めるためになんでもいいから書いてください」と懇願された背景をちゃんと読者に理解していただき、善良な読者に「ろくでもない知識を詰めこまない」ことに留意しようと努力したことを正直に伝えておきたかったからである。その時点では営業スタッフはたとえおとぎ話を書いても怒らなかっただろう。よほど、「むかしむかしあるところにソシエテジェネラルアセットという会社がありました...」から書き出そうか、と思ったほどである。
しかしながら、営業の人間は勝手なもので、書き出してから数回で「せっかく読者に読んでいただくのでやはり何か役に立つことのほうがいい」ということを言いだした。さすがに読者のことを親身に心配しての配慮かと思ったが、単純に「中身の無い文章を配信すると、自分たちの顔がつぶれる」ことに気がついただけということがわかった。また私が持ち前のボランティア精神を発揮して執筆している姿を見ても「ヒマをもてあましている人間にヒマではないふりをさせてやっている」としか考えていないこともはっきりしてきた。
執筆する側としては、せっかくコラムを載せるのだから楽しく読めるように、そしてできれば金融の知識が深まるようにひとつぐらい役立つレッスンをと心がけた。しかしその割には、「楽しませる」ことよりも「笑いをとる」ことに重きが置かれ、ちりばめられているはずの金融知識はどこをさがしても見当たらない状態になっていった。無論そうした知識を私が沢山は持ち合わせていないことがひとつの原因だと考えられる。これは、私のアシスタントに聞いたときにも確認ができた。
「コラム記事を書き続けて50回を超えた。ずいぶん営業には貢献したと思うけど、君たちもそう思うだろう」
「えーっ、あんな駄文を50回以上も載せたんですか。金融庁から処罰の通達はなかったんですか」
「何を言う。こう見えても、昔アナリストとかファンドマネージャーをやっていたことがあるように記憶している。ちゃんと資格試験だって通ったはずだ」
「それって錯覚じゃないんですか。日ごろ会社の中を徘徊されている姿だけ見ているので、とても金融のプロには見えないんですけど」
「そうかもしれない。だから資格をちゃんと持っていることは証書を毎日何度も見直して、それが小学校の卒業証書じゃないことを確認している」
「でも金融のプロの人たちってもっと利口そうな顔をしているし、ちゃんとした暮らしをしているんじゃないですか」
「もちろんそういう人たちのほうが圧倒的に多い。毎晩、スーパーの惣菜売り場に出没したりするのはいい加減にしないとと考えている。12年も走っている中古車も新車の自転車に買い換えるための壮大な計画を立てている」
「社長の実態をそのままコラムで紹介したほうが、読者には『こういう人間にだけはならないほうがいい』という知識はしっかりと届けることができると思いますけど」
こうした現状は勘のいい営業のスタッフはちゃんと把握をしていた。先週の突然のリクエストは「頼むからもうコラムを書くのは止めてほしい」だった。せっかくいい投信を世に出したり、運用成績がいい状態なのに、わけのわからないコラムで評判をブチ壊しにされたら元も子もないと察知したからであろう。さすがに百戦錬磨の営業部隊である。顧客の利益をまず考え、社内の上下関係などは眼中にないということである。
ということで今回はなにがあっても「あとがき」を書けという命令が出された。しかし、困った。いままでまともな文章を書いたことがないので、「お詫び」を書くことはあっても「あとがき」を書くことがなかったのである。これでは盆踊りしか踊ったことのない人間にいきなりタンゴをやらせるようなものである。相手の足を踏んづけて張り倒されるか、そのまえに自分で足をもつれさせて床にたたきつけられるか、のどちらかである。ということで何か手本になるものがないかと考えたところ、よく外国の教科書などにそうしたあいさつ文が載せられていることを思い出した。だいたい、こんな感じの出だしだったと思う。
「...この本を世に出すことができたことは、ひとえに愛する妻の献身的な支えがあったからである。また多くの貴重なアドバイスを随所で与えてくれた同僚たち、大変な量の推敲を辛抱強く続けてくれたアシスタントにこの場を借りて感謝したい...」
しかしこのような高尚な「あとがき」を私に期待していたとしたら、営業の人間は認識が甘いといわざるを得ない。この文章を私の実態に即して書くと、そうはならないのである。
「...ない知恵を絞って七転八倒している私を放っておいて、どうしてカミサンはネコどもに健康診断を年4回も受けさせるのか。金融知識を散りばめるつもりが笑いを取ることを優先するあまり「まったく役に立たない」という定評をとるコラムを連載させておきながら、スタッフは都合が悪くなりだすとさっさと日のあたらないところに執筆者を隠そうとする。文章をちゃんと読みもせずに、駄文と決め付けてゴミ箱にコラムを捨てようとするアシスタントたちにも文句がある。(もちろん全文をちゃんと読むと、彼女たちが確信を持ってコラム記事を廃棄処分することは目に見えているが。)こうした過酷な環境にもめげずに50回を超えるコラムを書いたことに、少しは感謝してくれてもいいのではないか。したがってお茶を入れるときには饅頭ぐらいサービスしてもらっていいのではないだろうか...」







