当コラムは、2009年12月末で終了しました。
これまでご愛読いただきありがとうございました。

当コラムは、お金との付き合い方を読者に楽しく紹介できればとの思いから書き綴ったものです。読みやすさを重視して一部の文章は脚色したり、わざと大げさに書いたりしていることをご理解いただき(カミサンについては控えめに書きました)、ごゆるりとお楽しみいただければ幸いです。

2009年12月28日更新

あとがきに代えて

以前「私はなぜコラムを書くのか」というコラムを書いたことがある。営業の女性スタッフから「紙面を埋めるためになんでもいいから書いてください」と懇願された背景をちゃんと読者に理解していただき、善良な読者に「ろくでもない知識を詰めこまない」ことに留意しようと努力したことを正直に伝えておきたかったからである。その時点では営業スタッフはたとえおとぎ話を書いても怒らなかっただろう。よほど、「むかしむかしあるところにソシエテジェネラルアセットという会社がありました...」から書き出そうか、と思ったほどである。

 

post.jpgしかしながら、営業の人間は勝手なもので、書き出してから数回で「せっかく読者に読んでいただくのでやはり何か役に立つことのほうがいい」ということを言いだした。さすがに読者のことを親身に心配しての配慮かと思ったが、単純に「中身の無い文章を配信すると、自分たちの顔がつぶれる」ことに気がついただけということがわかった。また私が持ち前のボランティア精神を発揮して執筆している姿を見ても「ヒマをもてあましている人間にヒマではないふりをさせてやっている」としか考えていないこともはっきりしてきた。

 

執筆する側としては、せっかくコラムを載せるのだから楽しく読めるように、そしてできれば金融の知識が深まるようにひとつぐらい役立つレッスンをと心がけた。しかしその割には、「楽しませる」ことよりも「笑いをとる」ことに重きが置かれ、ちりばめられているはずの金融知識はどこをさがしても見当たらない状態になっていった。無論そうした知識を私が沢山は持ち合わせていないことがひとつの原因だと考えられる。これは、私のアシスタントに聞いたときにも確認ができた。
「コラム記事を書き続けて50回を超えた。ずいぶん営業には貢献したと思うけど、君たちもそう思うだろう」
「えーっ、あんな駄文を50回以上も載せたんですか。金融庁から処罰の通達はなかったんですか」
「何を言う。こう見えても、昔アナリストとかファンドマネージャーをやっていたことがあるように記憶している。ちゃんと資格試験だって通ったはずだ」
「それって錯覚じゃないんですか。日ごろ会社の中を徘徊されている姿だけ見ているので、とても金融のプロには見えないんですけど」
「そうかもしれない。だから資格をちゃんと持っていることは証書を毎日何度も見直して、それが小学校の卒業証書じゃないことを確認している」
「でも金融のプロの人たちってもっと利口そうな顔をしているし、ちゃんとした暮らしをしているんじゃないですか」
「もちろんそういう人たちのほうが圧倒的に多い。毎晩、スーパーの惣菜売り場に出没したりするのはいい加減にしないとと考えている。12年も走っている中古車も新車の自転車に買い換えるための壮大な計画を立てている」
「社長の実態をそのままコラムで紹介したほうが、読者には『こういう人間にだけはならないほうがいい』という知識はしっかりと届けることができると思いますけど」

 

こうした現状は勘のいい営業のスタッフはちゃんと把握をしていた。先週の突然のリクエストは「頼むからもうコラムを書くのは止めてほしい」だった。せっかくいい投信を世に出したり、運用成績がいい状態なのに、わけのわからないコラムで評判をブチ壊しにされたら元も子もないと察知したからであろう。さすがに百戦錬磨の営業部隊である。顧客の利益をまず考え、社内の上下関係などは眼中にないということである。

 

ということで今回はなにがあっても「あとがき」を書けという命令が出された。しかし、困った。いままでまともな文章を書いたことがないので、「お詫び」を書くことはあっても「あとがき」を書くことがなかったのである。これでは盆踊りしか踊ったことのない人間にいきなりタンゴをやらせるようなものである。相手の足を踏んづけて張り倒されるか、そのまえに自分で足をもつれさせて床にたたきつけられるか、のどちらかである。ということで何か手本になるものがないかと考えたところ、よく外国の教科書などにそうしたあいさつ文が載せられていることを思い出した。だいたい、こんな感じの出だしだったと思う。
「...この本を世に出すことができたことは、ひとえに愛する妻の献身的な支えがあったからである。また多くの貴重なアドバイスを随所で与えてくれた同僚たち、大変な量の推敲を辛抱強く続けてくれたアシスタントにこの場を借りて感謝したい...」
しかしこのような高尚な「あとがき」を私に期待していたとしたら、営業の人間は認識が甘いといわざるを得ない。この文章を私の実態に即して書くと、そうはならないのである。
「...ない知恵を絞って七転八倒している私を放っておいて、どうしてカミサンはネコどもに健康診断を年4回も受けさせるのか。金融知識を散りばめるつもりが笑いを取ることを優先するあまり「まったく役に立たない」という定評をとるコラムを連載させておきながら、スタッフは都合が悪くなりだすとさっさと日のあたらないところに執筆者を隠そうとする。文章をちゃんと読みもせずに、駄文と決め付けてゴミ箱にコラムを捨てようとするアシスタントたちにも文句がある。(もちろん全文をちゃんと読むと、彼女たちが確信を持ってコラム記事を廃棄処分することは目に見えているが。)こうした過酷な環境にもめげずに50回を超えるコラムを書いたことに、少しは感謝してくれてもいいのではないか。したがってお茶を入れるときには饅頭ぐらいサービスしてもらっていいのではないだろうか...」

2009年12月21日更新

Leçon 43 株の話(9) 大型株と小型株~その2~

(前週より)
小型株の魅力はこれまで存在していなかったような新しい産業だったりする点である。わが社の名物ファンドマネージャーの大間知君は小型株運用歴18年の大ベテランだが、投資した企業の中には結婚式を演出する企業、不動産のファンドを立ち上げる企業、携帯電話による占いサービス、古本・ビデオの再販業、料理のレシピを配信する企業、都心の遊休地を活用した駐車場経営など、大企業がこれまでまったく手を付けていなかった「新しい産業」の担い手が多く、話を聞くだけでわくわくしたり、驚かされることが多い。私は運用の担当ではないのでどんな新しい産業が今育ちつつあるのかよく知らないが、「お父さんを大切にする産業」とか「あんまり働かなくても生活が楽になる産業」、「ペットよりも家庭内で地位が高くなることを助ける産業」などが出てきたら一声かけてくれるように頼むつもりである。

 

ついでに言うと、大間知君はかなり背の高いファンドマネージャーだが、常に私が話しかけるのを拒む image43.JPGように、レポートや書類を机の周りに積み上げて隠れている。以前オフィスにスペースがないときには、書類の保管の場所がなくて積み上げているのかと思い、新たにフロアを拡張したときに十分なスペースを与えてみた。しかし、それは無駄であった。今までは一重の書類の山だったが、最近はそれが二重の山になって私を拒んでいるだけであった。積み重ね方にも工夫があるようで、地震が来ても山が崩れたことがない。やはり経験の深いファンドマネージャーは違う、と感銘を受けたことだった。

 

大間知君の運用の要は経営陣への直接取材だと思う。企業が若いときは経営陣の質がその後の成長に大きな影響を与えるだけに、それを見極めることが実力だというのである。18年間には成功例もあれば失敗例もある。優れたファンドマネージャーの特徴は失敗から多くのことを学んでいる点である。私のように月2回以上トンカツ定食を食べたために減量がちっともできなかったという苦い経験を経ても、いまだにそれが直せない学習効果のない人間とは違う。

 

私は小さな運用会社の経営に携わっている関係で、会社の業績についてスタッフに説明するときに人一倍気を配る。小型株チームには鋭い質問をさせないように気を使っているのである。心配なので私の仕事ぶりがどう周囲に映っているのかを確認しようと、アシスタントに聞いてみた。
「大間知君は経営に携わる人間の仕事ぶりで会社の成長性を判断するらしいが、君から見て私の仕事ぶりはどう見えるのかね」
「社長がいつも社内を徘徊しているのは知っていますが、いったいいつ仕事をしているんですか」
「私はみんなが元気かどうかを見るために一人ひとりの席に足を運んでいるのだ」
「結局ヤクルトのオバサン(正しくは「ヤクルトスタッフ」というそうである)と同じということですね」
「いや、向こうは徘徊するだけでなく商品を売って回っているから、私よりも上かもしれない」
「社長と話をしているだけでスタッフの不安が増幅されるような気がするんですけど」
営業にも聞いてみた。
「君は私が仕事をしているのをよく見ているだろう」
「社長と話をすると、すぐくだらないコラムに鬼ババのように書かれるので努めて見ないようにしています」
「そんなことはない。私にはカミサン、石川さゆり、その他の女性、という以外に分類がない。公平なものだ」
「私には仕事がありますので、この辺でいいでしょうか」
やはり小型株チームには絶対に質問をさせないようにしておくほうが無難のようだ。

2009年12月14日更新

Leçon 42 株の話(8) 大型株と小型株~その1~

日本株といってもすべて同じような値動きをするわけではない。大型株と小型株ではかなり違った動きをする。小型株はその名のとおり大企業というほどの大きな会社ではないが、れっきとした上場会社である。以前のレポートでもグラフで示したが、景気がいいときは小型株は大型株よりも値上がりする傾向があり、逆に不況になるとより下げ幅が大きい。自分が大型株を運用するファンドマネージャーであったためによく知らなかったが、わが社の小型株チームの運用を見るとすばらしい資産だと思えるようになった。当然ながら欧米では古くから小型株はれっきとしたひとつのカテゴリーで、専門のプロフェッショナルによる運用がなされている。

 

image40.jpg小型株の魅力はなんといっても企業の成長力に尽きる。小型株は大企業の初期段階だと思ったらいい。今をときめく大企業も、昔の創業時は町工場だったり、中小商店だったはずである。そうした会社が上場を果たしたときはたいていまだ小さな企業、つまり小型株だったはずだ。たとえばユニクロ(会社名はファーストリテイリング)が1997年に東京証券取引所の2部に上場したときは、時価総額がわずかに600億円程度の小さな会社であった。それが、12年後の今日、時価総額でいうと21倍になっている。話を簡単にするともしも上場したときに100万円分の株式を買っていると、今2,100万円へと増えている。この資産価値の増加はいつ起こったかを見るとさらに興味深い。東証に上場してから小型株の分類だったのは2年半の間である。その後大型株になってからの10年間は年率5%強の成長にすぎないが、小型株であった2年間の成長は実に年率200%というすごさである。これが小型株に投資をするメリットだろう。但し、企業が小さいときには不況に対する抵抗力は弱く、それだけ株価は大きく上下する。

 

     企業が小さいときに株価が急騰しやすいのは、利益の伸び率が大企業と比較にならないくらい大きいからである。たとえば同じ10億円の利益の増加でも、年間の利益が1,000億円の大企業にとってはわずかに1%の増益率でしかない。しかし、年間の利益が20億円の企業にとっては50%の増益になる。株価が大きく上昇するのは当然である。何度も述べたことだが、株価は配当の額(これは利益に左右される)と利益の成長率に大きく影響を受けるからだ。(続く)

2009年12月 7日更新

Leçon 41 株の話(7) 株価の決まり方~その3~

image41.jpg我が家では私の価値は経済の状態によってほとんど上下しない。勤めている会社の業績が上がると少しは給与とか賞与とかが上昇するので、私の評価(資産価値)が上昇し、それが小遣いに反映されると経済の授業で習ったはずなのに、である。これは以前のコラムで述べたように、カミサンが貯蓄を趣味とするぐらい支出に厳しいこと(私の小遣いは単なる「無駄遣い」に分類されているようだ)と経済の大きな流れに無知であることに起因している。したがって、なんとかいまさらながら経済を勉強させることができないかと、四苦八苦している。幸いカミサンはネコの本だけは定期購読をするくらい熱心に読んでいるから「ネコにわからせる経済学」とか「ネコのための経済学」を今後はわが社の名物エコノミストである吉野君に書かせてはどうかということを真剣に考えている。そうすればネコの本を読んでいる間に知らず知らずのうちに私について評価を変えるはずである。(もっとも正しく評価をした結果、私の価値がさらに下がる危険性もはらんでいる)。

 

株価は市場が決めるといわれる。つまり市場に参加する投資家たちがいいと判断すれば買い注文に結びつくから株価は上がっていく。反対に会社の価値が低いと判断すれば売りが増えて株価は下がっていく。ではいったいどういう人たちが株を売り買いしているのだろうか。日本の株式だから日本の人たちと考えがちだが、最近は実は外国人の売り買いの量が激増していて、ある統計によれば全体の5割以上は外国人からの注文だという。外国人、というと映画スターとか観光客とかを連想するかもしれない。しかし、実際に日本の会社の株式を売ったり買ったりするのはほとんどが資産運用を仕事とするプロフェッショナルである。彼らは運用の成績によって収入(特にボーナス部分)が大きく変わるので、それこそ必死である。これはプロのスポーツ選手とよく似ている。成績が優秀なら人もうらやむような年収を手にする。しかし成績が悪ければ2軍落ちや解雇も当然とされる。よく外資系というと派手な生活をしている、と想像する人が多いが、実は成績によって厳しい評価を毎年下される。私が、少しぐらい調子がいい年でも決してスーパーからデパ地下へと惣菜を買う場所を変えるといった分不相応な贅沢をしないのはそうした深い理由があるのである。(カミサンは「そういうことが面倒なだけなんでしょ」とにべもないが)。

 

外国人投資家はいまや日本の企業にとっては重要な「株主」である。世界的に知られている企業になると株式の半分以上が外国人に保有されている。彼らはあくまでお金を増やしてくれるということだけを期待して投資をしているから、企業のトップに対しても、決しておもねる事をしない。それどころか、会社の持ち主として実に厳しい要求を突きつけてくる。同じ企業の株式を所有している側としては心強い限りである。彼らの投資行動は理詰めである。したがって日本の経済の状態や企業の置かれている市場環境に非常に詳しい。今後の日本の株式はそうやってこれまで海外で資産を着実に殖やした実績を持った人間により、より価値のあるものになっていくことは容易に想像できる。

 

このように外国人投資家とか「外資系」はプロとして一般に尊敬をされているはずだが、外資系の会社の経営をしている割にはどうも私の評価は家の中だけでなく会社でも低いような気がする。アシスタントに話をしてもそれがはっきりする。
「私も外資系のファンドマネージャーだったし、外国人投資家の一翼を担っていたんだから、お茶を入れる時にはお茶菓子を付けるとか、敬意を表してもいいんじゃないかな」
「でも社長は外資系のファンドマネージャーのようにカッコよくないし、安いという理由だけで10年以上も走っている国産の中古車に乗ってるからイメージがまったく一致しないんです」
「あれは、捨てるのがもったいないという現代のエコブームを5年以上前から見抜いていたのだ」
「私たちは"単なるケチ"って思ってました。あの、どうしてもお茶菓子が要るというんでしたら、冷蔵庫に2週間前に買ったのが残っているんですけど、みんな怖がって手を出さないので召し上がりますか」

2009年11月30日更新

Leçon 40 株の話(6) 株価の決まり方~その2~

 会社の価値、すなわちその会社の株の価格は、株主が配当をどれだけもらえるか、その配当がどの程度今後増えていくのかで決定されていくことを前回説明した。したがって、会社の価値を調べるということは、その配当を出すための元になる利益や資産がどのようになっていくのかを調べることである。

 

この仕事に就くのはアナリストたちである。会社は株主のためにちゃんと情報を公開する。株主は会社の持ち主だから知らされて当然であり、それが法律で決まっている。株式を上場するということは会社を公開するということである。だから、株式を過半数握られると実際の経営権が移ってしまう。自分の会社だと思っていたものが人のものになってしまうのである。それがいやな場合は上場するのをやめることである。その代わり、株式の価値ははっきりとわからない、株式をすぐに現金化できない、株式市場からお金を調達できない、という制約がかかる。

 

会社の利益を調べるということは、収入と支出を調べることになる。だから世の中の流れが大きな影響をもたらす。証券会社が多くのアナリストやエコノミストを抱えるのは見栄やはったりだけではない。そういう人たちがいないとちゃんと会社の利益の予想ができないからである。

 

経済学はそういう意味で大切である。新聞には経済に関する記事が沢山出ている。経済の成長率はよく国内総生産(GDP)とか鉱工業生産という言葉を使って報道される。これは企業の売り上げに大きなインパクトを与える。おおまかにいって、売り上げの伸びは経済の伸びと密接に連動する。だから景気が悪いと売り上げが落ち込むから株価は下がってしまうのである。物価指数も同じである。デフレがひどいとせっかく物を作っても売り上げは伸びない。インフレならいいかというと、そうも言えない。売り上げは伸びるだろうけど、人件費とか材料費だとかのコストが売り上げ以上に増えてしまうかもしれない。為替は輸出、輸入をしている企業にものすごい影響を及ぼす。アナリストたちはこうしたことを考えながら、これからの企業の利益がどう増えたり減ったりしそうかということを予測するのである。

 

こうしてみると、なぜ経済の知識が大切かがはっきりしてくる。もちろん総理大臣になって国の経    済を好き勝手に動かそうとするときに、一つ一つの決断がどういう影響を及ぼすかを考えるためにも image42.jpg必要だろう。しかし、株価を予測する意味でも大切なことがわかる。テストに出るからというだけで    はとても経済を勉強する意欲は湧かないだろう。でも経済をよく理解していると、人より先にポルシェが買える、もっと広いアパートに住める、スーパーの惣菜ばかりではなく時にはデパ地下でより高級な食べ物を口に出来る、という現実的なメリットを示すことができれば、若者も(私のような中年も)もっとちゃんと新聞に眼を通し、経済の動きに注意を払うことだろう。もちろんエコノミストたちがみんな派手な外車を乗りまわしていれば、学生たちはだまっていても必死になって経済の原書を読みふけるはずである。

 

株価の予測は実は連想ゲームでもある。「風が吹けば桶屋がもうかる」というのは古来から言い  伝えられた連想ゲームの原型であろう。これを株式市場に当てはめると、こういうことになる。雨が多いとレジャー関係は打撃を被って株価が低迷する。でも水力発電をしている電力会社はほとんどタダでどんどん発電ができるから利益が多く株価にプラスである。晴れが続くとこの逆になる。でもどういう環境になると「私の小遣いが思っても見なかったほど上昇する」ということになるのか、運用担当者やアナリストに聞いてみようと思っている。

2009年11月24日更新

Leçon 39 株の話(5) 株価の決まり方~その1~

会社の価値、すなわちその会社の株の価格は、稼ぎや財産の多い少ないが左右することを前回説明した。でもとどのつまり株式に投資をするのは株主が配当をもらえるかどうかを考えているからである。配当は会社のもうけのうちの株主への「分け前」である。会社は法律で年間の利益からはどれくらい、財産を取り崩して支払う時はどの程度、というように株主に支払うことのできる配当の限度  額を決められている。やみくもに配当を払っていいのではないのである。これは毎月家に持ってかえる給料のうち、どの程度私が小遣いとしてもらえるかというのとかなり似ている。おのずともらえる額には上限があり、沢山もらおうとするとより余計に稼がなくてはならない。我が家のように、カミサンが慈悲という言葉をよく理解していない場合は、少しぐらい給料が増えても、ほとんど小遣いの額には変化がない。こういう人間にはやはり「あいうえお」を覚えさせる前に会社法や商法を徹底して子供のころから教育しておくか、仏の教えを諭しておかなくてはならなかったのではと悔やまれるのである。

 

さて、話を元に戻すが、とどのつまりは会社の価値、つまり株の価格は「配当をどれくらいもらえるか」が根底にある。その配当が出せるかどうかを、毎年の利益や財産の状態から推測することで、株価が決まってくる。もうひとつ大切なことは、その配当が将来増えていくかどうかという点である。実はこの成長力の推測が非常に重要であるのと同時にとても難しい。

 

前回の例でも、会社によっては株価が一株あたりの利益の15倍程度にとどまるところと、40倍にも50倍にも高くなっている会社がある。この2つの会社の決定的な違いはその「将来性」にある。次々と新しい技術を開発し、国内だけでなく海外や火星にまで市場を拡大しそうな会社、人間のみならずサルやタヌキにまで売れそうな製品を持っている会社ならば、おそらく利益は今後さらに拡大し、株主にはより多くの配当という分け前が転がり込むことになる。そうなると、今年の利益の額にだけ基づいて会社の価値を考えるのではなく、5年後10年後の利益や財産へと思いを馳せることで株価がつくのである。このように市場というものは、先へ先へと考えを進める性質を持っている。 image39.jpgウチのカミサンのように、何か問題があるとすぐ「あの時はこういった」とか「昔はこうだった」というように、なにかにつけ過去をほじくりかえそうとするのとはちがうのである。どうして今の給料がちょっとくらい少なくても、市場のように5年後、10年後の明るい未来に思いをめぐらせられないのか。トンカツ定食を月に決められた2回以上食べたことぐらいで非難されなくてはならないのか。少しは株式市場の寛容さを身につけてほしいと思うことしきりである。

 

同じサラリーマンなのに片やトンカツ定食を食べるのに四苦八苦をしている私とは別に、となりのフランス料理店で豪勢なお昼ご飯を食べている人もいる。これは家庭内で「今後がんばってとても偉くなる人」と成長性を高く評価され、お昼のご飯代もふんだんに支給されているからに違いない。そうでなければ同じぐらいの給料なのにあんなに高価なお昼ご飯を食べられるわけがないのである。

2009年11月16日更新

Leçon 38 株の話(4) 株価は高いのか安いのか ~その2~

前回は会社の値段を稼ぎ出す利益と比べて、高いのか安いのかを判断するということを話した。稼ぎの割りに過小評価されている会社を買うことが大切であるというのが教訓だった。(カミサンが昔の評価のまま私を見下して過小評価しているので私を売り飛ばさないというのは、単に事実であって教訓ではない)。今回は別の見方である。会社の資産に対して、どれくらいの値段がついているかということである。

 

たとえば、お金持ちで車や不動産、宝石が山ほどある人と、借金が沢山あっていくら稼いでも返済でお金が無くなってしまう人では、当然ながら資産の面では同じ評価にはならない。このように、会社も資産から借金を引いた残り(これを純資産という)の額と会社の価値を比べることがなされる。これまでの稼ぎをしっかりと溜め込んで現金やほかの金融資産、不動産などを山ほど持っている会社と、借金をしまくって純資産が少ししかない会社の価値は同じにはならない。日本の会社でいうと会社の価格はだいたいこの純資産の1.2倍ぐらいになっている。だから、この比率の低い会社ほど割安なのである。株式に当てはめると、一株当たりの純資産と株価を比べることで、この点がはっきりしてくる。この比率を株価純資産倍率(PBR)という。日本の会社の中にはこの倍率が0.6倍という割安な会社がある一方で、5倍にも6倍にも株価が高くなっているものがある。前回も述べたとおり、投資の基本は「安く買って、高く売る」ことである。この倍率が1倍を下回っている株式は、株価がさらに下がるリスクはより小さいだけに、魅力的であるといえる。

 

image38.jpg人間の場合、その人の資産価値を見ることは必ずしも簡単ではない。たとえば、いい車を乗り回したとしても、ひょっとするとそれはローンがまだ沢山残っている車かもしれない。要は借金が風を切って走っているのである。また、本人が資産だと思って沢山溜め込んでいるものが、ほかの人にはまったく評価されないものだったとしても、同じようなことが言える。古いブリキのおもちゃを部屋いっぱいに持っていたとしても、それはその人にだけ価値のあるもので、ほかから見るとガラクタ、つまり二束三文の価値しかないことがままある。私にとって「時刻表」はカツ丼を一回我慢してもいいくらいの大切なものだが、カミサンに見つかると直ちに廃品回収に出されてしまう。つまり、金銭的価値のある資産を沢山持っていて初めて、その人の資産価値が高いといえるのである。

 

もちろん、人には資産価値で計れないいろんな特徴がある。水虫を患っている、いびきがうるさい、資産はあっても稼ぐ力はない、などである。したがって、資産の大小だけで相手を決めることには難しい点が多い。私の場合は資産価値をはっきりと伝えないようにして、売り飛ばされないように心がけているのである。

 

2009年11月 9日更新

Leçon 37 株の話(3) 株価は高いのか安いのか ~その1~

株式でも何でも投資をする場合の鉄則がある。「安く買って、高く売る」ということである。簡単 なように見えるが、実際はとても難しい。なぜかというと、値段そのものでは高いか安いか分からない からである。たとえが悪いが(発想が貧困、という言葉で置き換えてもらっても構わない)大根が一本 image37.jpg500円、神戸牛の霜降りの焼肉用が百グラム1,500円だったとする。どっちが高いのだろうか。私だと、すぐに神戸牛のほうが高いという結論を出し、大根おろしで食事を済ませようとする。しかしながらウチのカミサンに言わせると、大根一本に500円も払うくらいなら神戸牛の方がいい、ということになる。この値段ならお値打ちなのだという。要は、満足度に対して価格が妥当かどうか、ということだろう。同じような理由で我が家ではネコの虫下しを処方してもらうのにだいたい40ポンド(6,000円)ぐらいかかるが、そんなものだろうという見方をする。しかしながら、私が高熱を出して健康保険組合の診療所で1,000円以上使うと「贅沢だ」と言われる。逆らうともっと辛い目に遭うのでじっと我慢している。

 

このように、単純に価格だけを見て高い、安いは決められない。株価についても同じである。株価が3,700円程度の不動産会社の株と、一株が20万円以上もする電話会社の株式を比べる場合、どうやって比べたらいいのか。

 

ひとつの見方は、利益と比べてどれだけ高いかという見方である。大雑把に言うと今の日本の会社の株価はだいたいにおいて利益の20倍の値段がつく。だから不動産会社のケースで見ると一株あたりの利益が42円で一株あたりの株価が3、700円なので、88倍の値段がついている。これに比べて電話会社の株は16倍なので、この基準で見ると電話会社のほうが割安なのである。この倍率ないし比率は株価収益率(PER)という言葉で呼ばれる。低ければ低いほど割安であり望ましい。同じ金額を投資する場合に値段の高い株式は買う株数を少なくすればいい。少なくとも会社全部を個人が一人で買うことはあまりないから、株が売り切れないかどうかの心配は無用である。最初に書いたとおり、投資をする場合の鉄則は「安く買う」ことが大切だから、割安なほうを買ったほうが、これ以上安くなる確率が低いのでいい判断なのである。

 

さて、人間はどうか。私が若かった頃を振り返ってみると、給料が低い場合は不当に過小評価されている場合が多かったように思う。問題は、株式の場合は割安なものを沢山買うことで同じ額の投資をすることができるが、人間の場合はいくら割安でも一緒になる相手を何人も抱えるわけにはいかないことだろう。したがって、過小評価は一向に解消しないのである。我が家ではそのころの評価が定着してしまっているため、いくら気を使ってお土産を買って家に帰ったりしても評価が高くなることがない。このあたりが金融市場とくらべて不公平な点である。ただし、評価が低い分だけ市場に出してもたいした利益が出ないと思われているので、いまだに家から追い出されないで済んでいるのである。

2009年11月 2日更新

Leçon 36 株の話(2) 株の値段

株価は会社の価値そのものだから、会社の利益がとても大切な要因となる。

 

株価の予想は卑近な例で言うと、結婚相手の値踏みとよく似ている。あまり好きな表現ではないが、アメリカやイギリスの新聞を読むと「この人はこれだけの価値がある」という文章をよく見かける。その人間の資産価値を持って、人間の価値とするわけである。正直言ってこの表現には抵抗がある。資産を持っていない人間は価値がないのか、という疑問があるからだ。突然話がワープ(この言葉がわからない人は「宇宙戦艦ヤマト」を鑑賞することをお勧めする)するが、マザー・テレサは結局普段着ている服2着だけが唯一の持ち物だったという。それでは彼女の価値はそれだけであろうか。お金で人の価値を計ることは万全ではない。

 

とはいえ、結婚相手を考えるときに相手の年収はすべてではないにしても、大切なポイントだろう。沢山稼いでくれる人の方がより魅力的だろうと思う。もちろん人によっては、今はちっともたいしたことないけど、将来は偉くなるだろうということに賭ける人もいれば、そんなよくわからない未来のことよりも安定したしっかりした職業に就いている人のほうがいいという人もいる。

 

株の値段もそういう感覚で決まっていく。稼ぎがどんどん増える会社の株価は上昇していくのである。ある株式は当初は配当もわずかで、値段が低いままだったが、事業が伸び始めて利益も配当も急増しそれにつれて株価も一緒になって急騰することになる。一方で、安定して配当を出す代わりにこれ以上急激には大きくならないから株価はそんなに上がらないという会社もある。往々にしてそういう形で人間も値踏みをされていることがある。ただし、株式との決定的な違いは、人間は飽きてもそう簡単にはほかに乗り換えることができないことだろう。(もちろん乗り換えることは可能であるが)。

 

ということで、株価を決める場合にはやはり利益、そしてその分け前である「配当」と配当の今後の伸び(成長)が大切な役割を果たす。しかし株価はそれだけで決まるわけではない。かの有名なケインズ(オーストラリアの有名な観光地ではなく大昔の英国の経済学者)がいみじくも指摘していたとおり、株価はある程度は「美人投票」的に決まるのである。ブームが来て人気が出るとどれだけ利益を稼ぐかという理屈がどっかに飛んでいってしまい、ブームに乗っているものが過大評価されることもあるのである。

2009年10月26日更新

Leçon 35 株の話(1) そもそも株式とは

株式というとギャンブルを連想する人も多いのではないだろうか。株は長い期間もつと価値が上がったり、配当を毎年受け取ったり、会社によっては株主優待で製品(その会社の作っているジュースとかサービスの割引券とか)が付いてくることさえある。ただ、必ずしも値段が上がるだけでなく下がることもあるから、貯金と比べると怖いと思う人もいるだろう。

 

株式や株式を組み入れた投信を買うことは、実は「支出」ではない。預金口座からお金が動くから、お金を使ったと感じる人がいるかもしれないが、実はこれは投資だからお金がなくなってしまったのではない。預金が形を変えて別の資産になっているだけである。これが消費することとの決定的な違いである。ネコの健康診断はお金が出て行ってしまってそれで終わりである。海外旅行にしても税金にしても、みんな出て行ってしまうお金である。もちろん、消費することによって「楽しみ」を満喫したりできるから意味のあることである。(ネコはちっともありがたいという顔をしない。ましてや税金は「取られた」という印象のほうが強い。)

 

image35.jpg株式に投資するということは「会社を買う」ことである。もちろん会社全部を買うとなると必要なお金は預金口座の残高ではちょっと足りない。だから会社は多くの人たちで保有して、おのおのが持っている分に応じてその見返りである「利益の分け前」をもらうのである。だから会社の側から見ると株を持っている人、すなわち株主は「持ち主」であり、出してもらったお金は返さなくてもいい。その代わり利益がでたら分け前を渡すのである。株式のいいところは、いやになったらさっさと売って現金にできることである。預金口座に戻してもいいし、ほかの会社の株式に乗り換えてもいいところだろう。さらに、もしもひとつの会社の株式を沢山持っていれば(大株主)、経営者に対して「気に入らない、ああしろ、こうしろ」と注文することもできる。会社の持ち主だから当然の権利である。これに比べると結婚とはずいぶん違うことに気がつく読者も多いと思う。利益(給料)の分け前を渡すことは仕方がないにしても、いやになっても簡単に処分できない。いろんな注文をつけると倍になって返ってくるか、苦情の嵐になる。

 

一方、債券は会社から見ると「借金」である。お金を借りているだけだから、利息と元本を返す限りとやかく言われる筋合いはない。もちろん借金を返すペースや利息はあらかじめ決まっているので、貸す側(債券の持ち主)は将来どれくらいのお金が戻ってくるのかが予想できる。もちろんこうした借金もいやになればほかの人に売り飛ばして現金にできるから、「手堅い投資」である。株式は会社が儲かるときと儲からないときで、分け前(特に配当)が違ってくる。配当が増え続けているときはその会社の価値がどんどん上がる。これが株の値段である。

 

株式に投資することのいい点は、われわれが起きているときも寝ているときも、その会社の従業員の人たちが給料と引き換えに一生懸命利益を伸ばすことに努力し、利益を稼いで配当という分け前をよこしてくれることであろう。まさに「お金のために働く」のが給料とすれば、「お金に働かせる」ことが株式や株式投信を買うことなのである。ウチのネコどもを見るといい。私が寝ているときはしっかりベッドの中にもぐりこんで寝ている。私が働いているときもソファの上で大の字になって寝ている。

 

会社の利益は景気によって、またその会社の製品の売れ行きなどのよって上がることもあれば、下がることもある。だから、会社の価値(株の値段)は上がることもあれば下がることもある。ただ、多くの会社を見てわかるように、そこで働いている人たちは会社が成長して大きくなっていくことを目標にがんばっている。だから会社の価値、すなわち株価は長い目で見ると上昇していくのだと思う。ここがウチのネコどもとの大きな違いである。バブルの時期に会社のお金を使ってゴルフ場を作ったり、絵画を買ったりしていたところがあったが、そうした会社が投資するに値しなかったのは、当然であろう。

 

株式に投資をすると短い期間では、株価が上がったり下がったりすることがあるが、何年という長い期間で見ると上がっていることのほうが多い。退職するまで長い時間のある人たちに株式を勧める大切な理由である。

 
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